娘が不登校になったのは、小2の終わりの2月後半のことでした。朝、お腹が痛いというので、学校を休むと、お昼ごろには元気になることを数日間繰り返しました。母親である私は、これは不登校だとすぐにわかりました。

娘は1年生の時から、チック症状があり、だんだんひどくなっていました。私は自分の世話が足りないと思い、とても悩んでいました。同時に、娘が学校に行くことをそんなに喜んでいるようにも見えず、気になっていたところでした。

実は、その少し前にインターネットを通して得た情報があります。それは、アメリカなどでは、子どもが学校に行かず、家庭で学び、育つホームスクールが公教育として認められており、日本でも少しずつ始める人がいるということでした。私は、娘の様子を見ていて、この子もホームスクールがいいのではないだろうか、いつか不登校になるのではないかと思ったのですが、誰も身近に実践している人もなく、そのまま日が過ぎていたのです。

ですので、私は娘に、「アメリカでは学校に行かないで、おうちで勉強する子どもたちがたくさんいるんだって。だから、あなたもそうしようか?」と聞いてみました。すると、娘もすぐに「その方がいい。」と答えたのです。私自身も、このまま学校に行かせることは、彼女の心と身体、彼女が持っている良いものが壊れるのではないかと漠然と感じていました。

そこで、夫と相談して、家に居させることにしました。ちょうど学年末だったこともあり、担任の先生は、もう学習内容は終わったので、後は復習するだけだからゆっくりしていいですよと言ってくださいました。もちろん、先生は次の学年になっても登校しないとは思わなかったと思います。

と言っても、私は不安でいっぱいでした。この子の将来はどうなるんだろう、普通の社会生活ができるのだろうかと思うと、夜もよく眠れないこともあり、神様、助けてくださいと祈るばかりでした。

当時、私がいちばんつらかったことは、周囲に不登校もホームスクールも理解してくれる人がいなかったことです。不登校になる子は弱い子、問題児、家庭も問題家庭とあからさまに言われなかったとしても思われている、また、かわいそうな家族と思われているようでした。

その一方で、毎日娘と家で過ごしていく中で、一瞬一瞬を一緒に生きていけることがうれしいような、落ち着くような感じがしました。周囲に目を向けると、不安に襲われましたが、2人で家にいると、これで良かったんだと思いました。

そして、音声を含む複数の症状が出ていたチックが、学校に行かなくなって1か月ほど経つと、ほとんど消失したのです。これには本当に驚きました。私はこの子はホームスクールでいこうと確信しました。学校に行けなくて困っているという考え方ではなく、学校任せにしないで、親として責任を持って、この子が必要なことが学べるようにしていこうと前向きに取り組むことにしました。

それから、10年以上が経ち、さまざまなことがありましたが、あの時、不登校になって一時的に親子ともにつらい思いはしたけれども、結果としては本当に良かったと思っています。

娘は、その後、中学生まで家庭で過ごしました。そして、絵を描くのが好きだったので、美術を専門的に学びたいと希望し、美術の専門学科がある単位制高校に進学しました。現在は、大学で美術を学んでいます。

学校は社会にとって必要だと思います。ですが、学校環境に合わない子どもがいることもあるということを身をもって体験したと思っています。

Mママ

*ホームスクールは、ホームエデュケーションとも呼ばれています。