不登校に関わる私の失敗、気づき、受容
1.失敗
私は良かれと思って、「時間を守る」などの他人や社会の都合に合わせること、期待されること、正しいとされること(正論・正解)を子供に伝えてきました。
息子が上手く守れなかったとき、私は理由や期待を言って励ましたり頑張らせていました。でもそれは息子を苦しめ、追い詰めることになっていました。
2. 気づき
息子が登校できなくなってきたときも、同じことをしました。
今思えば、息子が学校に行き渋り出した8歳の時、小さな胸の中で、親や先生から教えられた「これが良い」「~すべき」で自分を叱咤し、「みんなそうだから」と頑張ったけどできず、苦しみ続け、限界に達して学校に行けなくなっていたのです。
息子はそれをうまく表現できず、親に怒りをぶつけてきましたが、私は「そんな八つ当たりのようなことをしていては社会で生きていけない」という思いから厳しく叱ったり、励ましたりしていました。「自分なんていないほうが」と訴えていました。
どうしようもなく困っているのに、親が怒ったり責めたり、悲しみながら「なんで?」と言ってくる姿を見ていたのです。期待に応えられない自分、親を苦しめている自分という思いに苦しんでいたと思います。息子はとてもつらかったと思います。だからこそ親が苦しんでいたら子供は本当に地獄だと思います。
私は息子が不登校になってから、息子の状態や気持ちとその原因をよく調べるようになり、登校することが難しいことを徐々に理解できるようになりました。自分の思い込みにも徐々に気づいてきました。
それでも現実をありのままに受け止めることはできずに、息子が家で落ち着いて、安心して、力を蓄えて元気になったら、また学校に通ってくれると考え、学校復帰がゴールだと思い込んでいました。
3. 受容
子供の問題だととらえている私たち夫婦には、この状況を受け入れ、本当の原因を確信するのには時間がかかりました。私たち親や大人の側の問題だと頭で理解できるようになるのに1年かかり、確信するまでには4年もかかりました。
その確信は、ありのままの自分(何を求めて、何ができていて、何に無知・無関心だったのか)を知り、受容することによってもたらされました。
日本の学校の問題に象徴される「多様性を受容できていない私たち社会の問題」を身をもって確認し、自分の価値観の問題だと確信して解決し始めたとき、心底この状況に感謝できるようになりました。
過去の自分についても、受け入れられるようになりました。無知で間違っていたとはいえ、親としてはそのとき持っているすべての知識と努力を注ぎ続けていたのですから、仕方なかったと思います。
結果にとらわれずに、そんな自分を受容できたとき、私はやっと本心から息子のありのままを否定も肯定もせず受容できるようになってきたのです。もちろん、息子の言動に対して様々な感情は湧きます。その感情にも気づいて受容し、伝える必要を感じれば、息子を否定も肯定もしない形で慎重に伝える努力をしています。
私は間違った価値観と未熟な心に気づいて成長し始められたことに、今とても感謝しています。
(H.S)