不登校からホームスクールへ(続)

Pixabay

前回、娘が不登校になり、ホームスクールを始めたことを書きました。今回は、その後どのように過ごしていったかについて、書いてみたいと思います。

学校に頼らずにホームスクールしようとなったものの、私(母親)は実際に何をどうしたら良いのか、全くわかりませんでした。ただ、1週間1か月のことではないから、燃え尽きないように頑張るのはやめよう、完璧を目指さないようにしようと決心しました。

とりあえず、国語と算数は続けることにしました。ところが、学校からもらった教科書は、私にはとても使いづらいことがわかりました。ですので、市販の教材を中心にすることにしました。それも試行錯誤がありました。

娘が家にいるようになった最初の頃、娘は自分の机のところに、段ボールで小さな囲いを作って、日中その中にずっと入っていました。今思えば、それは小さなひきこもりで、それまでの疲れをいやしていたのだろうと思います。ですが、いつの間にか無くなりました。

翌年には、弟も最初から小学校には行かず、姉といっしょにホームスクールをすることにしました。その時、娘が弟に、「先生はママなんだよ~!」と、笑顔で言ったのを覚えています。

子どもたちが小学生の間は、国語・算数・英語を中心に、午前中1人あたり1時間ぐらいで勉強は終わってしまいました。そして、宿題として、市販のドリルを1、2枚毎日渡していました。もっと工夫あることをしてあげればよかったと今は思いますが、その当時は、私もそれで精いっぱいだったと思います。アメリカの教材を使おうとしてみたこともありますが、とても私には無理でした。

そして、英会話スクール、絵画教室、塾、スイミングスクール、野球教室など、いろいろお世話になりました。多くの方々のサポートがあって、やってこれたと思います。中学生になると、彼らは基本的に自学自習するようになり、私は進捗を確かめる役割に回るようになりました。もちろん毎日のことですから、彼らが学校に行っていたら、私はどんなに楽だろうかと思ったり、親子で顔をつき合わせているのに、お互い疲れることもありました。

私にとっては、2人の姉弟の性格の違いだけでなく、理解の違い、成長の違いが手に取るようにわかり、その瞬間を共有することができ、本当に良い時間でした。また、彼らは周囲がやるから、しかたなくやるということがないので、努力する時も、自分や周囲のためという純粋な動機を持つことができたと思います。そのせいか、自分の興味あることも自然に見つけやすくなったようでした。ふたりともそれぞれ自分が学びたい分野を探し出し、今はその分野の学びを大学で行っています。

ホームスクールでは、よく社会性が身に着かないのではと心配されますが、親子や親族、数は少なくても接する人たちとの間で、普通のコミュニケーションが取れていれば、全く問題ないと思います。 親の会で皆さんのお話を聞く中で感じることは、お子さん自身が不登校になったことを強く恥じているような場合は、なかなかホームスクールという考え方になじめないかもしれませんので、皆さんの参考になるかどうかわかりません。ですが、こういう学校任せにしない子どもの育ち方もあるということを知っていただきたいと私は思います。(Mママ)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

体験談

次の記事

たどりついた親の会