我が子から我が個へ ~ 小学校からの不登校を経て

初めてホープ&ライフに参加したのは今から5年前、当時小学5年生の息子が不登校になった時でした。

当時、一日も早く何とかしなければと手当たり次第相談に飛び回っている中で、知り合いの方がホープ&ライフの企画する講演会を紹介してくれたのです。それをきっかけに普段の例会にも参加させて頂くようになりました。

正直、こんなに長く参加するとは思っていませんでした。というのも当時の私は、親が積極的に動けばきっと解決出来ると思っていたんですね。例会でもノートとペンを片手に情報収集に前のめりだったんじゃないかと思います。

さて、少し長くなりますがこの5年間の息子の様子と母親としての私の心境の変化を綴りたいと思います。

先述の様に少しでも早くと解決せねばと焦っていた私は、ようやく復帰した仕事を辞め、朝から晩まで息子と一緒に過ごしました。学校に行かなくてもいいよ、とは言ったものの、1日1回は外に出よう!と、有無を言わせぬ母パワーで毎日図書館や地区センター、本屋、レンタルDVD、買い物など何かと理由を付けては連れ出していました。歴史のマンガが好きだったので、1回の外出で1巻を買い、翌日の外出で2巻を買う。とにかく外出の理由を作る工夫に試行錯誤する日々でした。スーパーのマグロの試食を目当てに外出なんて事も‥

そんな事をしながら何とか生活リズムを保ち、私は勝手に満足していました。今思えば自己満足だったかもしれません。
小学生という年齢だから可能だったんでしょうね。
当時のホープ&ライフの例会で、息子との外出話を武勇伝のように話していた自分が恥ずかしいです。

やがて、ハートフルスペースやルームを経由して小6は学校復帰した息子ですが、中学は三年間ほぼ全不登校となりました。
得意なパソコンやプログラミングなら行けるんじゃないかとフリースクールにも少し通いましたが上手くいかず、とうとう家に引きこもるようになりました。髪は伸び、前髪で顔を覆い、一日中パソコンで動画を見る生活。ある日、夕飯だからパソコンやめてと私が言った事からパソコンの引っ張り合いになり、息子が無言で刃物を見せてきた事がありました。自分の思いを言葉に出来ない息子が見せた心の叫びでした。私自身も限界を感じ、ここでやっと「息子の為に頑張る親」を辞める決心をしました。中学2年の夏の事です。

それからは、昼夜逆転も、別々の食事もあまり気にせず、私は私で自分の時間を過ごすようにしました。例会でも意気込んで話すのはやめ、肩の力を抜いて他の参加者の方のお話に耳を傾けられるようになりました。

そうして2〜3ヶ月が過ぎた頃でしょうか。ある日息子が「中3から学校行く為にはそろそろ勉強しないと。」と教科書とノートを開き始めたのです。突然の事でビックリしましたが、息子は息子で自分の時間を過ごし、ようやく自分のペースで動き出せたのかもしれません。

残念ながら中3も不登校でしたが、高校に行きたい気持ちは強かったようで、中3の秋には通信制高校の入学を早々に決めました。
そしてこの4月から、通学型の通信制高校生に通い出しました。

こんな5年間を過ごし、先日ふと思った事があります。「あれ?我が子と思っていたけれど、我が個と言った方がしっくりくるんじゃないかな」と。

我が子と思うと親はどうしても頑張ってしまいます。でも息子には息子のペースやタイミング、感性がありました。家でじっとしていられない私と違って家でゆっくり過ごしたい息子。人と接して元気が出る私と違って人と接するとエネルギーを消耗する息子。小学生の頃は親のペースに乗せられた息子にも、ちゃんと個があったのだと振り返って反省します。当時の過ごし方が悪かったという事ではないのですが、我が子=我が物になっていなかったかな、と。

高校に入学して1ヶ月が経ちます。危うさを感じる日もあり、このまま続けて通えるか、いや、そろそろ限界か‥と正直気持ちは毎日揺れています。でも「我が個の事」と思うと少し肩の力が抜ける気がします。
また、この5年間、色々な方のお話を聞いたり親の会で体験を語り合う事を通して、学校に行く事が解決でも正解でもない、と気付けた土台が心にあります。
この心強い土台を築いてくれたホープ&ライフに感謝しています。✨
(M.S)