確信の持てる生き方を探して~親の会5年目を迎えて②

ホープ&ライフが発足して5年目になり、世話人である私自身が皆さんと一緒に気づき、学んできたことを分かち合いたいと思います。前回は「親の会は横のつながり」でした。

不登校は1970年代半ばから増え、80年代に入ると急増し、2000年代に入ってからは高い横ばいが続いていました。ところが、ここ数年、少子化が進む中、また不登校児童生徒数は増え続けています。2019年度は18万人を超えました。

令和2年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要
2020年12月4日付より 

子どもの不登校は、学校・家庭環境をはじめ、ひとりひとりの子供によってその事情・状況、そして、その後の進路が異なることは言うまでもありませんが、それぞれのケースのお話を伺っていると、学校環境自体が苦しい子どもは確実にいると思わずにいられません。一律教育を強いる、受験を含む学校システムの問題、集団からのストレス、学校における人間関係の複雑さなどが原因になっているのではないでしょうか?

不登校の子どもたちは、何らかの抑圧を受けて不登校になったのですから、それは自分を守るための正常な反応であると言えます。けれども、同時に子どもたちは学校に行かないことで、自分自身を責め、自分をダメな人間と思っていることが多いのも事実です。そこから回復するためには休養が必要でしょう。心の傷、トラウマのいやしが必要な場合もあり、そのためには、当然時間がかかることもあると思います。

そのような子どもたちを日々、受けとめ、支えていくために親はどうしたらいいのでしょうか?親自身も子どものことを心配し、自分自身も不安になる中で、それまでの人生観・価値観が揺さぶられます。子どもたちがそれなりのレベルの学校に行き、それなりの企業に就職する、あるいは、それなりの職業に就くことを子どもに期待し、想定していたご家庭がほとんどでしょう。そのシナリオが崩れたかのように見えるわけですから、私たち親自身の生き方・考え方が問われることになります。

では、本当に子どもの人生が不登校でダメになったのでしょうか?不登校は悪いことで、そんなに不都合なことなのでしょうか? 2016年12月に「普通教育機会確保法」が成立し、不登校対策が“学校復帰”から“社会的自立”を目指すことになりました。2019年10月25日の文科省通知によって、それまでに出されていた“学校復帰”を含んだ通知もすべて廃止され、文科省の考え方も変わってきています。また、不登校を経験し、大人になり、社会に出ている方々の体験談を聞く機会も多くなりました。

確かに、私たち親も学校の先生方も社会も、子どもは学校に行くのが当たり前という考えを急に変えていくのは難しいでしょうし、それこそ時間がかかります。ですが、不登校の子どもたちの親は毎日、どうしたらいいのか直面させられており、子どもたちは日々成長していきます。

『人生には、学ぶべき教材が、ごろごろところがっている。学校を出ていないということもまた、一つの教材である。貧しいことも、体の弱いことも、失敗も失恋も、人との不和も、そしてまた、順境も逆境も、学ぼうと思えば、すべてが教材なのである。朝起きた瞬間、私たちは、人生の教科書がまた一枚めくられたと思えばよい。』(三浦綾子著 「孤独のとなり」角川文庫p67より)

三浦綾子さんのこの言葉のように、すべてが教材になるのではないでしょうか。自分自身に向き合ってこれからどうやって生きていくのか、それを考える機会があるのは、かけがえのないチャンスなのではないでしょうか? 

先の三浦綾子さんの言葉は、次に続きます。

『学歴の有無が問題になるのは一体なぜか。それは、きびしくいえば、自分自身の生き方が確立されていないからである。他の人々と同じでなければ落ち着かないとか、人に軽蔑されはしないかとか、肩身が狭いとか、社会が受け入れてくれないとか、などと考えることは、つまり自分の生き方に確信がないからである。』

とてもきびしい言葉です。この文章は昭和52年(1977年)に発表されているので、時代が違うとか、三浦さんとは世代が違うと思ってしまいます。確かに、そういった面はあるでしょう。

ですが、親の会でいろいろとお話を聞いていると、子どもたちは確信の持てる生き方を実は探しているのではないかと思えてくるのです。その時、いちばん身近にいる親の私たちの生き方も問われているのではないでしょうか? 日々いろいろな苦労や困難がすでにあり、また、今後どうなるか見通せない現在の社会情勢の中で、どうやって私たち自身も生きていくのか?

子どもの不登校は、子どもの生き方だけではなく、親の私たちの考え方・生き方をもより良く、広く変革する絶好の機会なのではないでしょうか?