5年をふり返って今考えること
息子が中学1年のとき学校に行かなくなって、5年が経ちました。今、当時のことを思い返すと、空から降ってわいたような子供の不登校に私はパニックになっていました。どうして、こんなことになったんだろうと理由を探したり、問題を解決すれば学校に行けるようになるんじゃないかと思っていました。
最初は何とか学校に行かせようと、説得しましたが無理でした。2週間経って、担任の先生が自宅へ来て本人と話したいと電話で依頼されました。本人に尋ねると、いいよ、と言ったので日曜日の午後、先生は家に来て息子と私と3人で少し話しました。
次の日、私が仕事から帰ってきてドアを開けようとしましたが、内側からチェーンロックが掛かっていて開けられませんでした。何度も息子を呼んだり、電話を掛けたりしましたが出て来ません。息子は学校に行けなくなって、「学校に行けない自分は生きている価値がない」と言っていたのを思い出し、まさか自殺!もうこれは警察を呼ぶしかないと思い、警察に来てもらいました。警官がチェーンロックを外し、中へ入ってみると息子は真っ暗な部屋の中で膝を抱えて丸まっていました。
その後は会社にいる間も、息子が自殺しちゃうんじゃないかと心配になって、仕事が手つきませんでした。こんな状態では仕事に集中できないと思い、契約を更新したばかりだったのですが、無理を言って1か月後に会社を辞めることにしました。
それから、あるカウンセラーから聞いた医師が主催する親の会に行きました。その医師から「どうして息子さんはそのようなことをしたと思いますか?」と聞かれましたが、私は答えられませんでした。その医師は「息子さんは居場所がなくなると思ったんだね」と言われました。そのときは理解できませんでした。だって、本人に確認して、本人がいいよと言ったのに、どうして居場所がないなんて思うのかと…
その医師の言葉の意味が本当に理解できたのは、随分後になってからです。息子は安心して休める場所が必要だったと。それまで親に反抗することがなかった息子は、親に対してイヤだとは言えなかったんだと思います。でも、態度で示したんですね。その後の学校からの要求を私が強気で断ることができたのも、この事件があったおかげだと思います。
先月の不登校新聞に心理カウンセラーの内田良子さんの講演録が掲載されていました。その中で、なぜ子供たちは本音を話してくれないのか、それは子どもたちが、よい子を求められ、よい子として育てられるから、とありました。
息子に当時のことを聞きましたが、あまり良く覚えていないらしく、家庭訪問の翌日だったことも忘れているんです。ただ、当時は自暴自棄になっていたと言っていました。私の声も聞こえていたけど、一人になりたくて無視したらしいです。
息子も「学校に行くのが当たりまえ」と思っていたそうです。学校に行けなくなって、自分には未来はないと絶望していたんでしょうね、私以上に辛かったんだと思います。昼夜逆転して、夜中ゲームをしていましたし、朝お風呂の中にPS4が沈んでいたこともありました。物に当たって壊していた時期もありました。
今は私も息子も以前より心穏やかに暮らせるようになりました。一番の変化は、私自身がこの状況を受け入れ、子どもの気持ちを変えようとしなくなったことだと思います。息子がネガティブなことを言っても否定せずに、私が思う正しい方向に導こうとしなくなったことでしょうか。将来への不安がないわけではないですが、将来のために今を生きるのではなく、日々楽しく暮らしていこうと思っています。息子と一緒に料理をしたり、ドラマや映画を見ているときが楽しいです。
この親の会に参加して、自分の気持ちや息子の状態を話すことが大きな助けになりました。また、参加される方々のお話を聞いて学んだことも多かったと思います。(K.S.)